飯豊にはじき返される

LIFE

大昔35年前位の話。

単車で、全国のいろんなところ訪ね歩いた。その時の経験は、今の人生の礎になったと思っている。

オートバイというのは、遠くに移動するには良い道具なのだが、欠点はつい手前の細かな所をやりすごしてしまうこと。

それに気が付いたので、以降旅はなるべく歩いて廻るように努めようと思った。

そんなことを旅先で、やはり日本一周していた自転車野郎と意気投合してお互いその旅を終えてから再会して、「歩いて山登り」をしようと計画したのだ。

愛知県在住だった彼と、山登り第一号として計画したのは「飯豊連峰」だった。今思えば大変向う見ずな計画だったろう。それでも若気の至り、ローカル線やバスを乗り継いで、入山口の民宿に泊まり早朝から山に取り次いだ。

結果として何とか日暮れまでに、山頂の避難小屋までたどり着いたのだが・・・・・。最後の斜面で10歩ごとに倒れこみ、寝入ってしまうほど疲れ果てていて・・・・。

ある程度山の常識を知る年代になって、初めての山行が飯豊連山野営の山旅って、相当な無謀なことだと知るのだ。結局山中3泊したのだが、人生最初の山行がもっとも華々しい経歴だったような気もする。

 

そのあとアルプスにも行くけれど、他の山に行けば行くほど飯豊ほど「大きい」「深い」山は他にないでしょう、と言うくらい威厳に満ちて、かつそうそう近づけない山だと思ったのです。

以来30数年。

今回飯豊の北の入山口、小国に行くことになって・・・・連休でもあって・・・。

ムラムラと久しぶりに登ってみちゃう??とスケベ心を持ちまして・・・もちろん簡単でないことは重々承知。で連邦の端にある一つのピークをとりあえずの目標にしてみたのです。

しかしその飯豊の主稜線にたどり着くまでに5時間半を要しまして・・・・・・そこで昼飯を食べながら・・・

これ以上進むには体力的にとても無理だし、大体が天気が怪しい、と別の尾根道を使って下山を開始しました。

しかし

 

その判断が遅すぎた・・・・あるいは体力が想像以上に劣っていた・・・と気が付くのは標高差が残り500m位になった時でした。足が痛くてまともに歩けなくなりました。

前々日故郷の那須の山で(中学生の遠足に使われる山で)4人が遭難死しておりました。天候が悪化すれば私も・・・・。

何とか日暮れ前に下山できましたが、上りと同じ5時間半を費やしておりました。

 

無事戻ったことだけを良しとしましょう。

飯豊は深し   です。

 

春の残雪も残っているけど、この秋の冠雪も重なっている。下界は猛暑だったが、この山の冬の深さ、雪の深さを感じさせられる。アルプスだってこの時期まで雪が残る山は無いのだ。

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