本日の発行の新聞に、「消滅可能性町村」県内8町村の中に当日光市も入っていた。
SNSなどで、警鐘や心配の声が上がっているようだ。でも私前から書いているように、もうだいぶ前から日光は限界集落市町村である、と言い続けている。
地元で働く若者、子供を産み育てる若いファミリーが圧倒的に少ない。魅力的な職場も少ない。この10年で幾つの学校が廃校になったことか・・・・。
これは近い将来大変なことになる、と思っている。
昨日紹介した加蘇山神社1200年前からあるけど・・・・・どう見ても周りに守る人達が住んでいない。
他人ごとじゃなくて、私の住む集落内に、小さな神社や祠が8つあるが、氏子が守っていく、という体制がもうとれず、今年から集落内班単位で、交代で掃除を担当することになった。
政教分離というか、信教の自由、という観点からは、少々問題があるのだろうけど。
コロナのせいばかりでなく、現在村落共同体の崩壊が急速に進んでいる。一番の原因は若い担い手が居ないことである。
話は飛ぶ
昨日紹介の超山奥の「ぽっつんと一軒蕎麦屋」。実は一軒家ではなかったのである。
さらに奥にひとの住む家があるという。
ちょっと前にFacebookに宣伝のページが入ってきていた。
蕎麦を食い損ねたので、こちらの家まで足を伸ばしてみた。
ずけずけ入っていくのも失礼な気がしたので、遠巻きに雰囲気だけを見てきたけど・・・・・。人里から遠く離れた山中で自分を見つめ、発見するには適した庵と思われた。だってせせらぎと鳥のさえずり以外何も聞こえない。
古のこの地には、多くの修験者が居たことだろう。
本来修験者とは、自然の中に身を置き、神が司る世界の偉大さに畏怖を感じ、その中で生きる理を人々に伝えることを使命とした人たちだと思うのだ。
400年前、天海僧正により家康の墓所が日光に祀られて以来日光の繁栄があったけど・・・。
あと100年もすると、日光市も廃村になり・・・・東照宮でさえ補修どころか清掃も儘ならなくなり、荒れ果てた神社仏閣が並ぶ日光になっている可能性もある。
でもそれこそが1200年前に修験者たちが読経や瞑想を尽くして、神の存在を見つめ、その力を得ようとした本来のこの地の姿に戻ること???!!!!!
100年後、この地(日光)は世界中から修験者が集い、また瞑想の地として、自己を目覚め、啓発する地になっているかもしれない。
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