15日お昼時を少し回った時刻に、今回の最期の目的地 下郷町・大内宿に到着した。
私初めてなんですが・・・・実はあまり来たくは無かったんです。というのは、テレビ等に露出多々、凄いブームで相当混雑しているらしいので。
実際駐車場が増設増設で第一から第四まであり、少々待たされて入れたのが第三。渋滞とかが大嫌いな私はもうここで気分がめいり帰りたくなります。
嫌 今日は妻孝行だった・・・・・(-_-;)。我慢我慢。
ご存じの方も多いだろけど。大内宿は、茅葺造りの古民家が現代では奇跡のように残り、江戸時代の宿場町そのままの景観を残している町である。
会津には前方後円墳があるように、古来から都との結びつきが深い東北随一の都市である。それゆえ近隣の有力者たちは伊達政宗をはじめとして会津を欲しがった。それくらい豊かな土地だったのだろう。
時代が徳川になり、今度は京都でなく通商や参勤交代のため江戸への街道が整備されていく。
大きなものは今の国道4号線のベースになった①奥州街道。
そして那須連山間の峠を越える②会津中街道。
そして栃木県三依を通り日光に繋がる③会津西街道。
このうち②と③は南に位置する下郷町から南下する③と東南にすすむ②に分かれる。
現代では別ルートで阿賀川沿いに国道が開かれたので、この大内宿を通る古道は往来が少なくなったけれども、古は、主な2つの街道が合流して通る大きな宿場だったのだ。
街道に面するかつての旅籠は、もちろん民宿は営業中の家もあったけど、現代では主に、蕎麦屋とか会津の物産を扱う商店として営業をしているようだ。
ここでの名物は、手打ちそば とそれを抄う箸ならぬ一本ネギ。
一本の長ネギで蕎麦を薬味としてかじりながら浚って食べるのが流儀だという。
やってみたが・・・・ネギで蕎麦などすくえるもんじゃない。
こんなことしていたら肝心の蕎麦が伸びる。それにこんな時期の長ネギなんか丸かじりしたものだから、口の中じゅう匂いと、辛みで・・・・・とんでもない状態になってしまい・・・・・・_| ̄|○。
蕎麦を味わうどころではなくなり・・・・・何の拘りも後悔もなくネギを割りばしに代えて食することにした。
↓こっちは妻が頼んだ普通のざるそば。こっちの方が良かったかもしれない。
会津塗の塗箸なんか買って妻はご満悦でした。
ま、初大内宿もふくめ想定以上に盛りだくさんの旅行だったねと、妻は喜んでいましたので、妻奉公のミニ旅行としては上々という結論にしておきましょうね。
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