昨日は一石二鳥を求めて…と書いてしまったが、常連さんならご存じのように3鳥を常に狙っている欲張りな私。
元々今回の夏休みの最大の目的地が石川県にある日本3大霊山と呼ばれる「白山」だった。
天気の都合で見送ったけど、秋田で妻と合流してからまだ夏休みは2日あるので、帰路途中で出羽三山に詣でようと提案して妻に了承を受けていた。
出羽三山とは、月山、羽黒山、湯殿山でそれぞれ聖地がある。昨年秋田に行きがけに、詣でようと計画したのだけど、これまた事前調べが不十分で、寒河江で車中泊して向かうと、湯殿山入り口の有料道路がまだ開いていなかった。2時間も待っていられないので、羽黒山に向かった。こちらも有料道路がまだ未通だったけど、本来の参道があったので下から階段を約50分位登って詣でることができた。結構キツイ登りだった(;^ω^)。
月山神社は文字通り月山の山頂にあり、山歩きが苦手な我妻は最初から問題外。私はかつて2度登っている。
羽黒山の行程は昨年確認済み。湯殿山はまだ未着だったが険しいという噂が無かったので、ここは妻を羽黒山と湯殿山の二大聖地に案内する、という提案をしたのだ。
結論を先に言うと、この有料道路を使うプランは無事に成功して、初見の羽黒山神社にこの東北に、こんな立派な社があったのか、と妻は驚いていた。さらに宿坊がいくつも並び、時に山伏姿で参拝する人の多さに二度ビックリしている。
でも湯殿山の聖地は書けない。
というのは、写真も禁止。ここで見たことは口外無用、という戒めがあるからだ。
気になる方は訪れてみてください。なかなか他には無い凄い聖地だと思います。
羽黒山は二度目の私だけど、昨年見逃していたことがあった。
ここが奈良時代当初、日本に仏教伝来した時から、当時の王権から建立を指示された聖地だと書かれていたのだけど、良く掲示板を読んでいなかったのだ。なんと「役の小角」も訪れていると書かれていてびっくり。
常連さんなら気が付いて欲しい。コウダは去年は石鎚山剣山そして今年は大峯奥駈け路を歩いている。これらは「役の小角」が開いた霊場として知られている。この夏の目標は白山だった。原始的な初期の仏教、というか修験道がどうだったのか、ということに非常に興味があり私後世のテーマになっている。
その修験道の創建者と言われる「役の小角」の足跡がここにもあったとびっくりしたのだ。
GWに金峯山寺の蔵王大権現をみて涙した話はかいたけど。スキーで有名なここ山形の隣の山蔵王山も、文字通り蔵王大権現を祀った修験の山だったらしい。
日光市民なら故郷の名山男体山は、「勝道上人が開山した」と誰もが知っている。
でも「開山って何???」答えられる市民はごく少数だろう。勝道上人は空海と同世代の人で、役の小角とは100年位後のひとだ。空海や最澄が仏教の教義を整理したと思うけど、それ以前は神道や在来土着の信仰と結びついた「修験」が広まっていたらしい。だから比叡山や高野山にて各人もお寺を開いている。
勝道上人も日光山を目指してで登頂してその山上こそが修行の場所を開拓できると臨んだのだろう。
だから「日光修験」という宗教活動が今でも生き残っているし、男体山に繋がる前日光山地に「修験の道」なる尾根道も現存している。
ここで最近SNSでビックリする情報を目にした。こうした平安初期に開かれた、日光のお寺や神社でもっとも古いのは何処か、と調べた御仁が居て。記録によるとどうも足尾町のお寺が一番古いのだけど、ここ祀られているのが「役の小角」だ!!!という驚くべき報告を目にした。
奈良時代の日本の宗教界で相当な影響力を持っていたことは確か見たい。
益々修験道が気になって仕方のないコウダです。
話変わってこちら秋田県協和町の唐松神社
長女に第2子が誕生予定なのだが安産の神様だそうで、妻の要望でお参りすることになった。
本殿が池で囲まれている不思議な社だけど、始祖はなんと「物部氏」だという。
聖徳太子の時代。蘇我氏 大伴氏 などと並ぶ豪族の一族として教科書に登場するあの氏。
権力闘争に敗れて秋田の地に逃れてきたらしいのだ。
そう知ると、当時の宮中には水を回した庭園があったらしいので、この神社の形状もなんとなく納得する。
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