難行苦行の大峯奥駈道

LIFE
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午前7時に歩き始めて、最初のピークの高城山まで2時間。その奥にも金峯神社という社があり、そのまた右手奥には「西行庵」というのがあるらしい。古の歌人西行が住んだ庵の跡だという。

この辺りはもう標高は900m位あって、冬は雪も多かったろう、こんな山奥に西行はどうして住んだのだろうか?。賄の付き人が集落から食べ物とか運んでくれたのだろうか????

写真で見ると本当に小さな建屋なのだけど・・・・それを見にいくと案内板によれば、往復20分を費やすみたい。日暮れまでの行動タイム11時間しかない私は、これをカットする決断をして先を急いだ。

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途中「靡なびき」と呼ばれる古の修行場が各所に遺跡のように残っている↑はの一つ。避難小屋としても使える。表題の写真もそうした小屋の一つ。

 

次に「青根ヶ峰」そして「四寸岩山」というピークを越えたあたりで、お昼になった。山岳地図によれば、5時間歩いて大体半分の距離だ。じゃあ後5時間で着くね、というほど簡単ではない。

だってもう下肢の疲労は顕著で、もう1時間位が限界で「ご馳走様」したい気分と体調だったから。通常の山歩きはここで大休憩。インスタントラーメンなど茹でて昼食するのだけど・・・・。

稜線歩きだから道中ここまで水場は無く、3L背負っている水はもしものビバークを考えると、ギリギリの水量だからラーメンなどに使いたくなかったし、大体が時間が惜しい。

で、朝コンビニで買ったおにぎり一個とカロリーメイトで急ぎ昼食とした。

 

「五番関」という最低鞍部に着いた時は14時50分。地図のコースタイムからするとあと3時間なのだけど、疲労困憊でもう歩くのを止めたかった。

しかし

山頂の宿坊には予約を入れてあるし・・・・こうした登山者が山小屋に着かなければ、山域によっては「遭難騒ぎ」になってもおかしくない。

此処山奥過ぎて携帯の電波も入らないから、連絡の取りようがないのだ。

1時間位手前に避難小屋というか、盛期には販売小屋にもなる建屋があるらしいから。どうにも動けなくなったら最悪そこでビバークするか、と何とか先に進む。

 

その小屋に着いたのは、17時だった。ビバーク予定者が2名いた。

もう山頂は目の前に見えていた。今がスタート地点なら1時間までかからないだろう。が疲労がピークで・・・・・20歩歩いてはゼーゼーゼーと3分休む  という状態。でも日暮れまで1時間半位あるからどうにか着くんじゃないかと向かったけど。

自己診断だけど・・・少々ヤバかった。

 

昨日徹夜で、おまけに朝血圧の薬飲むのを忘れて、ここにきて血圧が急上昇、動悸もひどく、吐き気もしてきた。道の傍らで10分位横になってたら、今度は寒さで震えが止まらなくなった。もう山頂近く、日が暮れかかっている。下界は五月晴れだったが、此処にはまだ残雪があるくらいの山上だ。

気力を振り絞って通常の倍の時間1時間20分。どうにか11時間あまりかかって山上ヶ岳の宿坊にたどり着いたのである。

 

宿泊者は15名位。もう大方が夕食を取っていて、私が着くと、もちろんラストワンということで「コウダさんですね」と向こうから言われてしまう。

夕食の片づけとかあるだろうから、急ぎ食べるか?と聞くと19時位まで大丈夫と気を使ってくれたので、それならば、と再度外にでて、持参の缶ビールで自分にご苦労様 乾杯した。

プパー! これで私は生き返るのだよ。

でも再度入室するとビールも酒も置いてあった。寺の宿坊だし、山上だし、無いと思って持参したが、有るなら酒の分あと1kgは軽量化できたなあ、と俗っぽいことを思う。

でもこれほど山中で人の中で、ひと夜を過ごせるありがたさを感じたことはなかった。

これもミニ修行の恩恵だろう。

続く

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