吉野桜の起源は1300年前

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吉野という土地は桜の名所として全国区の人気スポットだ。実際歩いてみると、写真で紹介した金峯山寺あたりはそれほど傾斜がないが、その前後は結構な傾斜の坂道が続く。一般客向けに近鉄駅の終点からケーブルカーがある位。

 

金峯山寺から義経が隠れ頼朝の追手から逃れたというお堂までは1時間余りかかる。さすがに一般の観光客はここまで来ない。その上にまた神社があって、尾根上の最初のピーク「高城山」までは2時間。吉野の尾根が見渡せる、日帰りハイクにはちょうど良い高度感とお弁当スポットだった。桜の時期なら最高だろう。

吉野の桜は、この山の辺りまで植えられてた。

参道入口から金峯山寺まで「下の千本」そこから上部を「中の千本」そして最上部を「上の千本」と呼ぶらしい。2時間もの道中に3千本もの桜が咲けば、そりゃ見事だろう。その時期に来てみたい気もするが・・・何分渋滞、混雑が大嫌いなので、実現するかどうかは???????自分で言っておいて 怪しい。

 

秀吉が花見をした、と伝わる吉野の桜だけど。為政者が天下を取ってから植えても、存命中の花見は難しいだろう。吉野桜はそのはるか昔から植えられて増やされてきたらしい。

今回の山旅の原点でもあり、私のブログに何度も登場する「修験道」に関係するから、ちょっと書いてみたい。

「修験道」の開祖と言われる人物は「役小角(えんのおづね)」通称「役の行者(えんのぎょうじゃ)」と言われてる。昨年登った四国の石鎚山もこの人物によって、開山された。

7世紀後半、ここ吉野で修行を重ね、山上ヶ岳山頂に修行場を作った。それが現在まで山頂に残る、初日の目的地大峰山寺だ。役行者はここに留まらず、尾根伝いに南下し、熊野大社までの「大峰奥駆道」を開いたと言われている。その行程が約100kmにも及ぶ。

近くの高野山にて真言宗をひらく弘法大師が活躍する100年も前のことである。

役行者は山上で祈り、釈迦如来や菩薩の化身という「蔵王大権現」に会い見え、その姿を桜の木に彫ったと伝わる。

その伝承を守り伝えるため、吉野の人々は、桜を大事に増やしてきたという。

そのあたりの桜の名所とは、歴史の深みが違うのだ。金峯山寺は、この修験道の総本山にあたる。

 

さて大峰奥駈道に戻ろう。

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