会津武家屋敷

LIFE

15日朝起きると雨がしとしと降っていた。これはもう折り込み済のことなのだけど。

さしたる目的地もない中、さてどうしたものか???

私は車を飛ばして新潟県・村上まで行って、岩ガキを食するプランを提案。

生魚など好きではない妻は提案を却下

今回は妻へのご奉仕旅行なので、再提案はできず・・・・・・・。

では会津の武家屋敷を見学して、その後大内宿でランチ という提案は全会一致で採択された。

 

会津の人たちは、全く罪のない我々がどうして戊辰戦争で賊軍になってしまって多くの犠牲者を出したのか今でも怒っている。

その会津藩の家老で、西郷頼母の屋敷が移築されて保存されている。私も前から訪ねたかった旧所である。

行ってみれば、家老職1700石取だった屋敷は、広く小國の殿様と同じくらいの屋敷に思えた。

流石に会津藩家老屋敷 梁の太さが圧巻

西郷は、最初から和平派であったようで、そのせいで一度暇を受けている。いざ本土決戦になり支城である白河城に赴任するも、官軍の攻撃で落城する。その後再度の恭順の提案は、主戦派に一方的に押し切られて再び暇状態になってしまう。

若松城に敵が迫る中、西郷の留守宅では、妻以下幼子も含めて一家21名が自決して果てるという悲劇も発生している。

昨年なくなった私の母親の祖先は、江戸末期結城藩の家老職であったらしい。やはり幕末の混乱で、お家の中は二分され、切腹の目にあったようだ。

会津・松平家の最期は、武士道を貫いた「美談」「誉」という人も居るけれど・・・・。防げた戦争に突き進んで、犠牲を広げた戦いともいえる。西郷の言を聞き入れていれば・・・・・・失わなくても良い命が沢山救えたのでは・・・・・・。

なかなか時代の中で、どっちが正しいか?と見極めるのは、現代でも難しい。それでも過去の歴史の流れを見て学んで、今の社会の方向つけに生かしたいものである。

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